相撲の本質

菅首相の会見がこのところよく流れるが、ほとんどプロンターを読み上げている。皆さんに呼び掛けてますよと、マイクの指向を無視して右・左と体の向きを変えるが、視線はプロンターにくぎ付け。細かい数字についてはカンペが必要だが、何を言うべきか咀嚼できておらず、考えながらしゃべってはいないのだろう。だから読み飛ばしだとか重大な誤読をしてしまう。質疑応答の場面では、目が死んでいるか怒気を含んでいるかだ。首相を続けないほうがよいと思うのだが・・・・。

実際にやってるわけではないので、柔道や相撲について語る資格は私にはないかもしれない。相撲が日本古来の神聖な国技だとは思っていない。興行として行われていた歴史的背景から反社の方たちとのつながりもかつてはあっただろうし、星のやり取り(八百長)も最近まであっただろうと思っている。しかし、プロレスのようなショービジネスとは一線を画して汚れることなく、子供も安心して楽しめる格闘スポーツとして確立してもらいたいと思っている。

で、何を言いたいかというと白鵬の”かち上げ問題"だ。かち上げはWikipediaによると、「主に前腕をカギの手に曲げ、胸に構えた体勢から相手の胸にめがけてぶちかましを行うなどの形を取る」とされている。攻撃目標は胸である。しかし白鵬のそれは「前腕をカギの手に曲げ肘には厚く硬めのサポーターを巻き、胸よりもやや外後側に右肘を構え、時に左手で相手の目線を隠しながら、頭から突っ込んでくる相手の顎をめがけて右肘を勢いよくぶつける」というものだ。白鵬のかち上げは、プロレスのエルボースマッシュである。あの巨体で、勢いよく突っ込んでくる相手の顎を狙って肘をぶつけるのは危険極まりない。横綱の品格云々の前に、相撲としてルール違反にしなければ危険なスポーツとして子供たちに敬遠される。張り手もそうである。時に激しい張り手の応酬がみられることがあり、それはそれで会場は盛り上がる。先場所の白鵬・照ノ富士の取り組みでもみられた。大麻で懲戒解雇となった貴源治が炎鵬にやっていたやつはえげつなかった。さすがにこぶしは握っていなかったが、距離をとり狙いすまして、ボクシングのアッパーカットのような張り手を数回繰り出していた。柔道の本質で述べたように、これらの技を許してしまえばプロレスやボクシングとの違いが不明瞭になる。相撲は、脳にダメージを与えることを目的とした技を容認する危険なスポーツとして認識され、好角家たちは離れていく可能性がある。日本相撲協会は公益財団法人だ。単なるショービジネスの勧進元として利益を追求するのではなく、社会に益をもたらし多くの人が楽しめる格闘系スポーツとして相撲を確立しなければならない。よって横綱の品格云々とは関係なく、白鵬のかちあげや貴源治が繰り出したような張り手は反則として明確に禁止とすべきである。



シャクゲバ

シャクゲバ=尺八を吹くゲバラ。この世の中を生き抜くには、この姿が必要と思いこの名前にした。日々感じることなどつづっていく予定。

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