サブリーン

10年前に書き始めたブログを読み返している。ゲバラの命日の後、オーストラリアのUluluに行っていた時、イラクの小児がん患者のサブリーンが死んだとの知らせを受けた。10月16日が命日だ。World Sabreen dayなるものの催しが友人から届いた。

2005年8月、JIM-NET の活動でバスラでの院内学級を始めるためイブラヒムを初めて派遣した時、 彼はたくさんの写真と子供たちの絵を持って帰ってきた。その中にサブリーンの絵があった。彼女の絵 は光っていた。彼女が描いた手足と目に特徴のある女の子は絵の中で生き生きしていた。2009年5月バスラを訪問した時、初めて彼女に会った。すでに同行した日本人などに絵のことを褒めら れていたのだろう、彼女の顔は晴れやかで堂々としており、立ち居振る舞いが美しかった。私は「サブリ ーンか?」と声をかけ、「写真撮ってもいいか」と聞いた。彼女は人でごった返すナースステーションの 前で、にこやかにほほ笑んでくれた。それ以上アラビア語で会話する能力は私にはないので、ありがとう と言っただけであった。 当たり前のことであるが人は死ぬ。天寿を全うする人もいれば、青壮年期に志半ばで亡くなる人もい る。また、サブリーンのようにまだ青春期を迎える前、世界が認識できる前に亡くなる子供たちもいる。 ドライな言い方であるが、早いか遅いかの問題であって、この自然の中では、この世の中では誰がいつど こでどのような死を迎えようが、取るに足らないちっぽけなことだ。と、11歳の時に母を亡くした私は 感じている。 けどな・・・・。

サブリーンは私たちに素晴らしい数多くの絵を遺してくれた。また、彼女が亡くなる前に遺したとい う言葉、「私は、死にます。でも幸せです。なぜなら、私の絵をチョコのパッケージに使うと聞いたから です。イラクの子どもたちを助けてください。ありがとう」 彼女は長い闘病生活で、強い孤独感・虚無感と戦ってきただろう。にもかかわらずこのような言葉を遺 してくれた。彼女の遺してくれたものをしっかりと受け取り伝えていかねばならない。一人ひとりの命 ははかないものであるが、はかない命が遺したものを、残されたものが確実にその思いを次世代に継承 していくこと、これが取るに足らない存在である我々がすべき意味ある行為だと思う。 ヒロシマのヒバクシャの思いもそうである。それらの思いを真摯に受け止め今後の世界につなげてい くこと、それがはかない人生の意味だと思う。


シャクゲバ

シャクゲバ=尺八を吹くゲバラ。この世の中を生き抜くには、この姿が必要と思いこの名前にした。日々感じることなどつづっていく予定。

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