おそらく多くの方は平和を望み、困った人がいれば助けたいと思うだろう。そういった良識を持った人々が過半数だと私は思う。パレスチナやイラクでもそうだった。その普通の人たちの意思が政治にそのまま反映されれば、多くの人が共存できる平和な世の中になる。だが市民の意思で主導されるはずの民主主義国家の多くで、実際はそうなっていない。民意は何処かで歪められている。どこでだれが民意を歪めるのだろうか?
政治家、あるいはそのサポーターの言葉に元凶がある。彼らは過激な言葉で民衆を煽る。熟慮の過程のためらいがちな弱い言葉より、断定的で力強い言葉のほうが扇動に有効だ。深謀遠慮のゆっくりと紡ぎだされる言葉は、短絡的で直情的な言葉に圧倒される。人々は強いものにあこがれ、他者をやり込める激しい言葉に熱狂する。その結果、扇動力の強い政治家あるいは政治屋が選挙という民主的手法で権力を握り、良識的考えはsilent minorityとなる。
ナチスドイツがそうだった。第一次大戦の敗戦後、ドイツ国民に渦巻く劣等感や貧困、不平等感、欧米に対する嫉妬や羨望など負の感情に潜む怒りをヒトラーは煽り立てた。それと同時にアーリア民族の自尊心や優越感を刺激した。それを聞いた普通のドイツ人たちは、『俺たちはこんなに優れているのに、どうして冷や飯食わされるんだ?俺たちアーリア人は優秀な民族なんだ。こんなになったのは、富を奪い取るあいつらのせいだ。あいつらを殲滅しあいつらの富を奪って何が悪い!』と攻撃的思想に誘導されてしまった。それに惑わされない良識的ドイツ人もいたろうが、扇動された民衆の声にかき消されてしまった。
何処かの大統領も同じだ。『俺たちはグレートだ。世界の奴らに搾取されて今は落ちぶれかけた。取り戻してやろうぜ。そしてまたグレートになろうぜ!』そんな言葉に、アメリカ人は乗っかってしまった。
今日はKさんが頭痛・めまいで一日臥せっていた。暇で川べりに出て、この項を書いた。
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