人を断つ

民族の根底に流れるトラウマというものは、その民族の本能のレベルまで記憶されたものであり払拭するのは簡単ではないだろう。別の民族に連鎖することは何とかストップさせたいのだが・・・・。せめて個人のトラウマを次世代に与えることは避けたく、そのための一手段として次世代へのつながりを断つという選択をした、というのが前項の話だ。世代を断つというのはベストの選択ではない。第一に考えるべきはトラウマを克己することだろう。だが深くトラウマが刻まれた人は、イスラエルがそうであるように、克己するのはなかなかむつかしいだろう。

虐待などで生存権が脅かされたトラウマは本能レベルの深いところに刻まれる。ゆえにイスラエルと同様、過酷な虐待を受けた人は自身に対するネガティブな意見に対して過剰な防御反応をしてしまう。私の兄がそうだった。兄を傷つける意思などなく人格否定ではない些細な意見であっても、兄がネガティブな意味合いを感じたら彼は過剰なまでに反論しキレてしまい、こちらの意見には耳を貸さなくなる傾向にあった。おそらく兄は、些細な批判的意見であってもその後に人格が否定され存在価値を認めないような言葉が続く恐怖を感じていたのだろう。父から受けた苦痛がフラッシュバックしていたのかもしれない。周囲の者たちは彼の過剰な反応を恐れて、腫れ物に触るように当たり障りのない表面的な言葉で彼と接するようになる。不必要に関係をもつことを避け相互理解を深めようとはせずに、半ばあきらめ勝手にしろと放置する。私がそうだった。兄を見捨てた。兄は孤立し人との関係を断ち、彼が亡くなる前の5年ほどは、ほとんど引き籠りとなっていた。


彼自身がそれを望んでいたとは思わない。私だって望んではいなかった。だが彼自身、彼のトラウマが顕在化し周囲を悩ませないためには、周囲との関係を断ったほうが楽だったのかもしれない。克己しようにもできないトラウマを抱え、せめて周囲に迷惑をかけないよう、自身のトラウマを刺激しないために人とのかかわりを断った、とも考えられる。優しい彼の悲しい選択だったのかもしれない。

シャクゲバ

シャクゲバ=尺八を吹くゲバラ。この世の中を生き抜くには、この姿が必要と思いこの名前にした。日々感じることなどつづっていく予定。

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