父と後妻さんは、父の頚椎症と両者の認知症のため4年くらい前から生活が立ちゆかなくなっていた。しばらくはヘルパー派遣で支えられていたが、被害妄想ゆえ彼ら自身がヘルパー派遣を断った。2年ほど前には、後妻さんの認知症がひどくなったため運転免許を強制的に取り上げ返納させた。それでも勝手に運転しそうであったためハンドルロックをかけて運転できないようにした。田舎のため日々の買い物ができず、1年間ほど私が週に2回惣菜を運んでいたが、腐ったものを食べお腹を壊すことが数回あり、着替え・洗濯もままならなくなっていった。それゆえ昨年3月に父の頚椎症の痛みが悪化したのを理由に、強制的に私の勤める診療所に両者を連れてきてホームに入所させた。以降、実家には帰っていない。軟禁状態と言える。入所してからは何度も通帳を失くしたため、通帳と印鑑を取り上げ、先日は後妻さんがもっていた携帯が壊れたことを契機に、携帯電話も取り上げた。徐々に彼らの自由を奪い、行動範囲の狭まった父はどんどん衰弱しており、後妻さんは反応が乏しくなっている。
実家での彼らの生活がままならなくなっていた時、「二人での生活をこのまま続けさせ、仮に二人が死後数日経って見つかっても、それはそれでよいのでは?」と思っていた。彼らは施設入所を拒み続けており、ギリギリの生活がたとえ不幸な形で破たんしたとしても、最後まで実家で生活できたなら、それはそれで彼らにとっては幸福な人生の終末でなかろうかと思っていた。が、世間はそれを許さないだろう。
もちろん、運転をして他者を殺してしまってはならない。火事をだして近所に迷惑をかけてもならない。携帯をかけまくり月数万円も電話代がかさんではたまらない。実際、免許を返納させた後、警察や役場、地元選出の議員の事務所や親類などにクレームの電話をかけまくっていた。それゆえ彼らの自由をどんどん奪っていった。自由を奪った分、私などがその補填をしながら実家で生活し続けることが一番幸せなのだろうが、働いている私にはそれはできない。行政の介護サービスも不十分であった。
結果的に、父は実家に帰ることなくホームで一生を終えようとしている。後妻さんもそれに続くだろう。幸せではないな。(写真は与論島での夕焼け)
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