未来への責任(各論1-2)

さて、自衛権に関し議論の余地があると申しました。我が党は今のところ、自衛権の放棄までは訴えることはできません。すなわち9条の第2項に関しては、今のところ明確な判断を示せておりません。申し訳ありません。もちろん最終的には第2項を遵守し、軍隊をもたず、あらゆる兵器を持たずに済む世界が実現されることを目指すのですが、現在の海外情勢をみれば、核兵器は未だ廃棄されず、長距離ミサイルやドローン兵器・AI兵器など我が国に脅威を与える動きは様々あります。あらゆる平和的な外交手段を尽くしても、我が国がその攻撃の標的となる危険性は否定できません。それらに対して全くの無防備であれば、実際に攻撃された時に国民の皆さんに多大な被害が生じます。いくら未来への責任があり普遍的価値観の実現を図るといっても、現在の人々の人権が蹂躙されるような状況を放置しておくことはできません。ですので、“盾”に限定しての自衛装備に関してはある程度の必要性はあるものと認めます。しかし、敵基地攻撃能力を持つことは明確に“盾”の範囲を超えたものです。今後、我が国の敵基地攻撃能力の保有に関する議論が活発になると言われてますが、我が党はこれに強く反対いたします。

自衛権を越えた敵基地攻撃能力の保持は、たとえ使用されることの無い抑止力だとの前提をつけたとしても、それは武力による威嚇に外なりません。憲法9条に明確に違反します。80年前、日本は真珠湾攻撃をしかけ宣戦布告しました。これは敵基地攻撃能力をもっていたがための悲劇だと私は考えます。日中戦争の契機となった盧溝橋事件も、当時の日本軍が攻撃能力を持っていたがために引き起こされた悲劇でありましょう。当時の日本として、攻撃能力を行使した理由としてそれなりの正義はあったことでしょう。戦争はいつでも正義の名の下に遂行されます。いつの時代でも武力を行使するための正義は熱狂的に叫ばれます。時には、その正義を正当化するための事件が捏造されることさえあります。フェイクニュースであふれる現代の情報化社会では、そういった誘導された正義が瞬く間に拡散する危険があります。偽情報に惑わされた国民は熱狂的に自国の正義と先制攻撃を訴え、それを受けた時の政府により武力が使われる危険があります。イラク戦争を省みれば、それは明らかでしょう。

しかし、はじめから攻撃能力保持を放棄しておれば、どうでしょうか?武力の行使に走ることなく、戦争を回避し平和的解決を目指して努力するしかありません。つまり、敵基地攻撃能力を放棄することが、戦争抑止の最も有効な手段であると我が党は考えます。よって自衛のための装備は攻撃能力をもたない最小限にとどめるべきであり、それであれば我が党は否定は致しません。

シャクゲバ

シャクゲバ=尺八を吹くゲバラ。この世の中を生き抜くには、この姿が必要と思いこの名前にした。日々感じることなどつづっていく予定。

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