未来への責任(各論1ー1)

さて、総論で述べたように我々が提唱する政策は50-100年後の未来を見据えたものです。5年や10年程度の未来ではありません。人類が理想とする普遍的社会が未来において実現することを想定し、そこに至る道筋を試行錯誤しながら求めていくのが我が党の基本姿勢であります。そこで短期的視点ではなく50-100年後の未来のために、今の我々が絶対に守らねばならない基本政策を二つほど述べさせていただきます。

まずは戦争放棄です。憲法9条に述べられております。「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」我が党は、これを現在の我々が遵守せねばならない絶対的命題といたします。戦争をしてはいけません。武力で威嚇、武力を行使して紛争の解決を図ってはなりません。破壊と殺戮をもたらす戦争は人類最大の不幸です。人間の狂気があぶりだされます。前世紀に日本は悲惨な経験を通し痛感しました。未来世代にその苦難を再びもたらしてはなりません。何が何でも戦争は避けなければなりません。

しかし、「今の世界情勢を鑑み戦争放棄は時流に合わない、ゆえに憲法を改正し軍隊を持ち戦争を遂行できる国家にすべきだ」という勇猛な考えの方がいらっしゃいます。あるいは「けっして我が国から攻撃をすることはないが、ミサイル攻撃等に備え自衛権の範囲内で抑止力としての敵基地攻撃能力を持つべきだ」という方もおります。もちろん、自衛権をどこまで認めるか、あるいは集団的自衛権をどうするかなど議論の余地があることは認めます。しかしこの二つの議論、憲法9条改変と敵基地攻撃能力保持に関しては、明確に反対いたします。時流に合わなくなった憲法は改正すべきだという人たちがいます。たしかに、古い価値観に基づいた哲学でもって、これからの世の中に混乱をきたすような条文に関しては見直し改正していくべきだと考えます。しかし、今現在の世界の実情にあわせようとするあまり、50年100年後の世界に害悪を与えてしまうような憲法改変であってはなりません。それは改悪です。政治家は数年後の未来を少しでも良くする責務があります。しかしだからといって、さらにその先の世代に致命的害悪をもたらすような憲法改悪は絶対にしてはなりません。

ここで憲法というものの役割を考えてみます。民主主義国家において憲法は主権者たる国民の意思であり、司法・立法・行政の三権を制御するものでありますでしょう。立法もしくは行政に属する政治家は、国民の意思たるこの憲法を遵守する義務があります。問題は国民の意思とは何かであります。ご存じのとおり、現憲法は第二次大戦の悲劇の後アメリカの統治下で制定されました。それゆえに、現憲法の国民の意思とは70年あまり前の先人の意思、あるいは米国に誘導された意思であり、今の時代に生きる我々が憲法を制定すべきだという意見があります。しかしどうでしょうか?今の我々の意思が普遍的なものになるでしょうか?なりません。今の我々の意思というものは、いっときの一過性のものでしかありません。現代のわれわれは万能ではありません。憲法には今の我々の意思を越えた普遍的意思が反映されねばなりません。では何が普遍的意思でしょうか?それは未来の国民の意思だと私は考えます。孫の世代、あるいはその孫の世代が戦争に明け暮れる世界を望みますでしょうか?いや、紛争などない平和な世界に生まれたいと、どこの国の誰もが思うことでしょう。憲法9条には普遍的意思があります。未来の国民の意思があります。未来の声なき声があります。一時の数年の任期しかない今の国会議員がそれを無視し改悪してはなりません。自分勝手に拡大解釈してはなりません。9条の普遍的意思を遵守し、戦争を放棄したうえで問題解決に導く方策を考え続けるのが国会議員の義務であります。よって憲法9条を護り、戦争を放棄することを我が党の基本政策の一つといたします。

シャクゲバ

シャクゲバ=尺八を吹くゲバラ。この世の中を生き抜くには、この姿が必要と思いこの名前にした。日々感じることなどつづっていく予定。

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